葬式に参加して
火曜日、私の叔母の葬儀に参列してきました。
叔母は父方の実家を継いだ方なので、子供のころよくお邪魔してましたし、今でも何かしら世話になっている方でした。
また、1月にこの方の叔父がなくなっているので、この1年で私は、お世話になった叔父と叔母両方をなくしたことになります。さみしいですね。
私がそう思ってる以上に、遺族は深いさみしさを感じていることは確実ですよね。
この葬儀に参列して、感じさせられたことを書きたいと思います。
遺族である従妹に話を聞くと、叔母が亡くなるとは思っていないようでした。それほど急な容態の変化だったんだと思います。実際、私たち家族もしれませんでしたからね。
遺族に当たる3人の従妹は、それぞれの思いで弔問客に対応していたと思いますが、涙はなかったです。
ですが、葬儀中、遺族は全員涙し、最後の別れでは、叔母からなかなか離れす涙していました。
ですが、葬儀終了後、遺骨の状態になると、不思議と皆涙は止まっていました。
そのときこう思ったのです。
人は、姿あるものに涙し、さみしさ、かなしさを覚える。
姿がなくなると、気持ちに一区切りつくものなのだと。この瞬間から、叔母は人の中で思い出に変わるんだと。
人は一生、さみしさと一緒には居れません。また、亡くなった人もそれを望んではいないとおもいます。残された遺族が、亡くなった人を思い出にしてこれからを生きていく。
葬儀はそうした意味があるのではないかと思わされました。
亡くなった人を、思いっきり悲しみ、さみしがり、そして思い出に変える。自分の身内の葬儀でしたがいい葬儀参列したなと思います。